2009年5月15日金曜日

Mamma Mia!!

昨夜、実家に電話をしていた。その時に、まだ早めの時間にも関わらず、寝起きの母の声。『寝てた~??』といつもの大声で聞いた答えは、予想外の事。


彼女は、約半年前からなんだか左の足がおかしいと言い続けていた。『そのうち治るって!!疲れや、疲れ!!』と流していた割りに全く良くならない。それどころか、初めのうちはたまになる痛みが、必ず毎日午後に訪れるようになり、それは、足のふくらはぎに留まらずふとももにまでやって来るようになっていた。あまりに毎日言うもんだから、『どんな痛みなんよ?』と聞くと、『ん~、なんて表現したらいいか分からないけど、とにかくおかしいの。力が入らないと言うか・・・』って。そういえば、私も毎日うつむせに寝る時に片腕を枕の下に入れて寝る習慣があって、ときどき翌朝からそっちの腕がだるくて力が入らない時がある。きっと私の体重のいくらかを数時間背負っていたからやろう!『そんな痛みと同じちゃう~』なんて言うときはまだ良いにしても、最近は、『きっと運動不足やって』とか、『ストレスが体に現れてるんよ!』とさらに流す言い方になってしまっていた。


それが、昨日の電話で、すごくしんどそうな声で『あの痛みがひどくなってきて昨日から腰にきてしまって。やっぱりなんだかおかしいし、今日大きな病院で MRI を撮って来て立つのも辛いくて横になってた。あの機械、暑いわ~』と。エッ、そんなこと言うてる場合??早く寝かせようと本能が働いてくれたのか、明日 MRI の所見を聞きに行くという事を聞いてその電話を切った。



何も考えないように用を済ませ、ベッドに入りポカンと考えていたのは、MRI 機器の中に入る彼女の姿。一応大学病院にいたから、機械の概要は分かる。『ん?何コレ??なんなんだ???』なんかイヤな感じ。これ以上考えるのを辞めたのもこれまた本能か!?


今日午前の仕事中、ふと、昨夜のことが突然頭の中を襲ってきた。

あと、数時間後に言われる『よく分からない、おかしな痛み』の原因。予想したくないのに、いつも勉強しろと上司に言われて続けても断固しなかった頭が、なんでこんなときに限ってどんどん病名と症状を出してくるん!?私めっちゃ頭いいやん!!なんで今なんよ~~!!そんなこと思ってる場合じゃない。でも・・・、私のおじいちゃんも筋肉の難病だった。おじいちゃんにいつごろからそんな症状が出ていたのかは聞いたかも知れないけど忘れた。私が物心付いた時には、もうその状態に近いおじいちゃんだったから。


お母さんもそんな歳?今から遺伝??遺伝なんて言われると否定できないやん**そんな頭良さそうな研究なんてしたこともないのに。それから頭の中はいつしか今までの思い出と後悔の嵐に渦巻いていた。なんで、『おかしい』って一番最初に言うてた時にもっと真剣に話しを聞かなかったんだろう、彼女は毎日訴えていたのになんであんなに軽くいつも流してしまったんだろう、お母さんもいきなりおじいちゃんのように歩けなくなるの?『おかしな痛み』はどんどん上に来て、喋れなくなっちゃうの?寝たきりになっちゃうの?・・・なんで?なんで??私、まだ親孝行もしてないよ!まだ19年間しか一緒に住んでないやん。まだたくさんの『ありがとう』を伝えきってないよ。


小さい頃からわがままで、でも、私のお母さんは、友達みんなが『らあめんのおばちゃん怒ったりするん?』と言うぐらい優しい人。もちろん怒るさ!でも、優しい。それはどこのお母さんもきっと一緒!中学、高校では何度校長室に一緒に呼ばれてしまっただろうか。その度に『いいやん、普通のお母さんが経験できん事、いっぱいできてるんやから!』なんて自己中心的発想**それから大学に行くまでの二年間という日々はお母さんが一番辛かっただろう。それぞれの家庭にも事情があるようにウチの家にもある。良くても悪くても、私は、エザキマサコ!お父さんとお母さんの長女でこの家の娘。でもそれが一番の誇り。この家に生まれて来て一生良かったって思える。

やっと大学を卒業し、みんなと一足も二足も遅れての『社会人』。給料を貰う資格を与えてもらい、それでもウロチョロ、ウロチョロと・・・でもでも、やっと今からお母さんとお父さんと家族と向き合う時期のハズだったのに。


想像は、暗くて寒くて寂しくて一番向いて欲しい道と正反対の道を突っ走ってる。イヤやー!お母さん!

私が、今こんなに思ってるんだから、おじいちゃんのその時はお母さん、きっと想像できんぐらい悲しかったんやろうな。今だから考えれる。もう、いっつも遅いねん!!!


友人の中にも、こういう状況になった子もいる。きっと私、すごい気持ちが分かるような顔してた。なんて言うたら良いか分からないまま言葉を探してたと思う。でも、絶対分かってない。当たり前やん、なった事ないやん。なんだか、すごく軽かったな。すごくすごく申し訳なかったな。


そんなことを考えてると、自然に涙が出てきた。アカン、患者さんの前やのにと、ウガイをしている後ろで涙が流れないように必死で上を向く。何個も歳の離れた若い衛生士さんに気付かれないように目がカユイふりをした。



もう、午前中のことはそれ以上覚えてない。



お昼休みになって、ケータイ電話しか目に入らない。即実家に電話した。出たのはお父さん。なんとも言えない心持ちで『MRIの結果は?』と聞くと、『大丈夫、椎間板ヘルニアだった。でも、まだ軽い方だったから、週2・3回病院に牽引にいけば良い!』って。もちろん、健康が一番いいに決まってる!椎間板ヘルニアだって辛い病気の一つ。でも、このときの私の気持ちは、それと同じぐらい神様に感謝した。電話の声はいつの間にかお母さん。『心配してくれたの?ありがとう。仕事大変なんじゃないの?早くお昼ご飯食べなさい!!』今、そんなこと言うてるどころじゃなかったのに、ありがとうは私が言うハズの言葉だったのに、次には嬉しい涙が今度はちゃんと頬を伝って、温かさを伝えて流れた!いつもと同じお弁当が、今日は格別に美味しかった。午後の仕事は一つ一つ覚えてる。患者さんと笑えてた。









そうだ、私の一番の理解者はお母さん。いつもそうだ。私達の為に私達のことを誰よりも一番想ってくれているのはお母さん。私がどこにいても来てくれた。長野県でも、愛媛県でも、オーストラリアでも、佐賀県でも。入院した時も目覚めたら大阪にいるはずのお母さんは愛媛の私の横にいた。誰かが言ってた『アンタには、必ず帰れる場所がある。必ず守ってくれる人がいる』と。今回結果は良かったけど、こんな事にならないと考えなかったのか。情けないッ*アカンな、まだまだ。














本当に『人はいつどうなるか分からない。』できる時にしよう。言える時に言おう。笑える時に笑おう。でも、どんなときにも、いつも傍にいて欲しい、お母さん。いつも、誰よりも私の味方って言い切ってくれる貴女が大好きで。私だっておばあちゃんよりもおじいちゃんよりも貴女の味方だからね☆



この10年間住んでる場所は離れてるけど、安全と健康を祈るのは10年間お互い様!


これから、私が『ありがとう』を言い続ける番なんやから、まだまだ元気でいないと怒るでー!!!


私のお母さんを支えてくれている周りの方達、私の友達、もちろん家族達、みんなありがとう☆


これからも、母をヨロシクお願いします(☆^-^☆)



そして、みんなのお母さん、みんなを産んでくれて私達を出逢わせてくれて、ありがとうございました☆


これからもみんな、元気に一緒に笑えていますように☆☆



そして私は母ような人間になりたい(^ー^)

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