ユウコ先生は、以前勤務していた病院に私が2ヶ月目に突入した頃からバイトに来始めた先生。
女の先生に飢えてた私に、一つの光がユウコ先生の存在だった。
幸せなコトに、私とユウコ先生は、いろんな面で似ているところがあったし、先生は、そんな私を妹のように見守ってくれていた。
ユウコ先生が来る毎週火曜日は、一週間の中で一番救われる日で待ち遠しかったし、朝、先生を迎えに行って、病院までの道のりがすごく早かった気がする。
ふと、ある日に、結婚していたユウコ先生に『先生、子供さんは???』と聞いたら、『いないよー!』と。
そこから、少しの沈黙の後に、『できないみたい!!』とめちゃくちゃ明るく話した声を今でも覚えている。
その2週間後・・・『できちゃったみたい!』といつものユウコ先生の調子!
『マジですか~~~???ヤッタじゃないですかーーー!!!』と喜んでいるのは私だけ。
でも、それでも、今、ユウコ先生のお腹の中には、先生と旦那様の宝者が在る!!!事実だもん!!
それからは、先生と会うたびに、なんだかお腹が大きくなっていくのを身近に感じながら、先生のお腹に触れさせてもらい、喜んでたなー!!先生の表情もだんだん真実味を帯びてきて、『腰が痛いわー!』なんて言うてるけど、誰よりも心配しながらも望んでいたんだろうな。
そんな中、私に取り巻いた問題。それに、一番身近で力になってくれたのがユウコ先生と旦那様だった。2人とも、職業が一緒だということ、そして、ユウコ先生が同じ職場だったのもあって、あんなに大変なお腹を抱えながら、毎日私にメールと電話をくれた。電話に出ない私にも、メールでアドバイスをくれたり、私が病院に行く前や、帰ってからも届くメールには勇気をもらえた。本当に親身になってくれた。
病院を辞める決心をしてから数日後、ユウコ先生が、『ウチ遊びに来ない??』と。
午後から休みの日に、高速飛ばして、熊本県は荒尾にたどり着いた。ユウコ先生と待ち合わせして、一杯のお茶を飲んだ後、先生が『行こうか!!』っと言うて連れて行ってくれたのは・・・ユウコ先生のお父さんが開業している病院だった。
行ってみて、ユウコ先生に『覚悟しといた方が良いよ!!』と言われていた意味が分かった。
この社会で未だにこんな建物があったんだというぐらい、言い方悪くて申し訳ないんだけど・・・かなり古い**曇りガラスの戸を開けると、懐かしい、田舎の匂い。本当に玄関ッぽい玄関の横には、ユウコ先生と妹さんたちが、幼稚園の時に書いた『歯を治そう!』的なポスター!玄関を上がると、大きなストーブの横に患者さんが数名。
そんな奥から、男性が名前を呼んでいる。すると、今ストーブの横に座っていたヤンキー風のお兄ちゃんが中へ入っていった。『なんて、ここに一番似合わない患者なんや!』
ユウコ先生は初めから、『好きに中見てていいよ~!!』とお気楽だったので、私もそのお兄ちゃんと中へ入った。事前に知らされていたユウコ先生のお父さん院長と衛生士のお母さんに一礼して、診療を見てた。
本当に古い診療室。その中に1台のチェア。そこに座る、似合わないお兄ちゃんを、お父さん院長とお母さん衛生士が二人で両脇から覗いてる。『おい、○○、痛くなかったか?』、『・・・うん、痛くなかった!』、『そうか、偉かったな、よし、合格!!』。
ほんの1分ほどの診療。なのに、なんでこんなに胸が温まったんだ??
そのすぐ後に、お父さん院長が『見ての通りオンボロ診療所です。』と、笑う横でお母さん衛生士の微笑みはもっと優しい。院長カルテを書きながら私に『今ではどこも、電子カルテやろな。』と、未だにドイツ語か、英語かで書いてるカルテを見せてくれながら言うた。
『江崎先生とやら、今はどんどんきれいで便利な病院が増えとる。君の今いる病院もそうやろ??便利はええなー!でもな、先生、わしはこの病院で一度も困った事はない。見ての通りやけど、どんな偉い人でも、みんな始まりはここなんや。みんなここを通ってきてそれぞれの今があるんや。それだけは、忘れたらアカンよ。君は将来どうするんや?どんな道に進むとしても、親御さんにそれを言うてみ!必ず喜んで応援してくれるから。親ってのは、そういうものなんよ。』気付けば涙が出ていた。初対面なのに・・・でも、院長先生は、また、その優しい微笑みでティッシュを私に差し出してくれた。『君の今思ってる気持ち分かるから。』60歳を越えた、初対面のお父さん院長が私の気持ちが分かると言うのを聞いて、なぜか、嬉しかった。
今までで見てきた歯科医院の中で、この病院は一番古かったけど、どこにも見たことないぐらい暖かくて、また戻って来たいと思える病院。この院長先生と、お母さん衛生士に覗かれていたいと思うほどの優しい空間。
こんな病院に居れる人間になりたい。この人達のように☆
このとき、色んな渦の中にいた私。ユウコ先生はきっとその中で、本来のモノを私に見せたかったのだろう。
ユウコ先生、本当にありがとう。
この日は、早く帰ろうとした私を引き止めてくれ、ユウコ先生の実家で、みんなで晩ご飯をご馳走になり、身も心もお腹一杯になって夜の高速を笑って走ったなぁ!!
それをきっかけに、私の決心も固まり、ユウコ先生のお腹も大きくなり、先生が辞め、2週間後に私も退職した。退職できた日に一番にくれたユウコ先生のメール、『おめでとう!明るい未来に向かって走れー!』。ユウコ先生、私は、先生に逢いに九州に来たんやわ☆出逢ってくれてありがとう!
それから、引っ越す時に一度先生に会いに行く予定がダメになり、結局ユウコ先生と会えないまま、九州を出てしまった。それから、連絡もできず、気になりながら、また連絡しようと思ってた矢先の今日のメール!『女の子が産まれました!』
メールを全部読まないうちに電話をかけていた。
久しぶりのユウコ先生の声。『連絡ない内は元気だろうと思ってたけど、江崎先生が元気で本当に良かった!』その言葉が、私には凄く深くて、あの頃を身近で見ていてくれていた先生だったから余計に深く伝わった。
『先生!私、今メッチャ笑えてます!!』
先生も笑っていた!私のために『ヨカッタ!』と何回も言ってくれながら笑ってくれていた。
ユウコ先生、旦那様、お父さん院長先生、衛生士のお母さん、おめでとうございます!!
5月15日2888グラムで産まれてきてくれたアヤミちゃん☆
貴女はかけがえのない存在だよ!ユウコ先生と旦那様の元に産まれてきてくれて本当にありがとう☆
今度こそ、貴女に逢いに行かせてね(^O^)
幸せは、きっと身近にあるものなんだ☆
それに気付かせてもらえること、私って、ホンマ幸せ者やなぁ(^ー^)